主催/八尾町商工会・越中八尾観光協会
設計:ぼんぼり光環境計画+武蔵工業大学小林研
協賛/遠藤照明
「人のアクティビテーを可視化する」The person's activity is made visible by light.
今や私たちの生活文化は多様化し、24時間営業のように夜間に活動するのが当たり前のようになってきた。そこで、日本の多くの公共空間などでは、安全で安心できる光環境とするために、照明に関するいくつかの規準に基づいて計画されてきた。ところが、少ないカテゴリーで分類された照明基準では、空間のさまざまな状況に対応できていないのが現状である。にもかかわらず、特に街路の計画ではただ明るくすることが経済発展の象徴して捉えられている一面もうかがえる。本当に豊かな光環境とは何か?私たちは今一度、原点に立ち返り「見える・見えない」「歩ける・歩けない」といった身体的概念に基づいて実際に実験と研究を続け、そこから導き出された新しい光環境のあり方を構築する必要がある。
その場所で、人がどんな行為をするかを考えていくと本当に必要な光が見えてくる。
例えば、平らな道を歩くならば路面が明るくなくても、今何処にいて何処に行くべきかというサイン的な光があれば不満を感じることなく歩けてしまう。集合住宅の共有部はパブリック(公共)とプライベート(私的)な部分を持ち合わせた空間であると言える。パブリックな場所では防犯性を考慮した対人に対する考慮が必要とされている。しかし近年の集合住宅は敷地内に住人しか入れないようなセキュリティーシステムがあるため、共有部はある意味プライベートな空間としての人のアクティビティーに合わせた光環境が必要となる。
それは人が寝静まった深夜などの時間帯は防犯性の高い光環境が必要であり、逆に人がまだ起きている時間帯では空間として防犯性を低くしても成立する。この考え方は機能性に合わせた省エネの新たな考え方ともなる。
人の生活する場には光があり、光があるところには人の生活がある。そんな基本的な人の行為を基準にした当たり前の光環境を今の時代、再構築する必要がある。デザインを追及するということから「人」との関わりを機能的に解答を導き出す手法に新たな建築の可能性がある。
繁華街を離れて住宅街に足を踏み入れると人の生活を感じる小さな光にほっとする事がある。その小さな光に秘められた魅力とは?この光を最大限に表現したらどうなるのか?今の街の魅力はほんとうに魅力的なのか?などの疑問が湧いてくる。魅力的な小さな灯りが街いっぱいに広がっていくことで普遍的な風景が作り出されると信じている。
現在のインフラの照明計画は路面照度の基準に従っている例が多い中、八尾町では新たな光環境を構築する作業が進められている。八尾町での人が歩道を歩くという性能を得るための最小限の光環境のあり方や、人気を作ることによって街路の防犯性を高める試み、歩行者が散策できる光環境の整備等、様々な角度から光の実験と分析を繰り返している。また世界遺産の合掌造りの相倉集落でも同じような試みが進行中である。交付金や補助金など新たな枠組みへの制度の提案も同時に行っている。
光によるまちづくりのための住民参加ワークショップ
富山市八尾町での奮闘記
■街路灯整備から脱却した光によるまちづくりの為に
日本の都市照明は、細かいデザインの違いはあるものの、基準や指針の元どこも画一的な計画がなされている。駅前のシンボルロードには均等に配置されたポール灯が並び、道路ばかりを照らしている。深夜には人の姿はポツポツとしか確認できないような状態でも、街路灯は人々の生活と無関係に点灯されている。町の持つ特徴や人々の生活と光の配置がリンクしておらず、光が町の魅力を引き出す役割をしていない。
私たちは明るくすることが必ずしも町にとってよいことだと考えておらず、機能的で最小限の光によって町の魅力を高めていくことを目指している。町の光を調査し、町にとってあるべき光の姿を提案し、そして住民参加ワークショップと光の実験を行う。まちづくりのためのワークショップは様々な方法が提案され実施されているものの、多くは図面や模型などを材料にして進められるか、建設現場で小規模に進められるものである。しかし光については、比較的低予算でも、大規模な範囲で計画案を実際に提示し、住民に体験してもらえるという利点がる。光を現実に町につくりながら計画を進めていくことができるのだ。私たちは今後も八尾において住民参加型の光の実験を行い、八尾らしく八尾にふさわしい光の創出によるまちづくりを進めていく。時間はとてもかかるであろうが、5年後には必ず実を結ぶはずである。その為の第一段階が始まったのである。
■ 八尾町で目指すこと
八尾住民にとって最適な安全性と防犯性を持った光環境を探し出し、構築することによって、結果、地域にふさわしく、個性が感じられ、人々の生活がにじみ出てくる、そんな光によって新しい町を作り上げていく試みを富山県富山市八尾町で実行中である。2005年10月22日から10月31日の期間、『やつお夢あかり2005』と称した光の実験を実施した。参加した私たちは、「住民との連携によってこそ実現できた」と振り返る。
八尾町は「おわら風の盆」や「曳山まつり」などで名高い富山市の観光地である。しかし、過疎化や高齢化、道路などの老朽化などの問題も抱え、若い世代の町への求心力は弱まりつつある。観光地としてまた人々の集まる文化地点として発展していくためには、応急処置的に町を整備するのではなく、地域に根ざした計画が望まれている。そうしたまちづくり計画の中で、私たちは「八尾を感じる光」をテーマとして、光環境を整備していくことに2005年春より取り掛かった。この活動は、照明家と大学研究室、八尾町商工会、八尾観光協会が主導し、地域住民と協同して進めていく、長期的で壮大なスケールの光の実験なのである。
八尾の風景とって重要な要素は光と地形であるといえる。おわら風の盆の期間に道路沿いに灯される数百のぼんぼりや、曳山に使用される提灯はこの町の象徴であり、そうした光とともに住民は育ってきた。また八尾町は井田川をまたぐ形で40 mのレベル差があるダイナミックな地形を持っており、崖の上に古い家並みが連なって見えるという特徴がある。ただし、普段の八尾の夜には、文化や地形を感じる光と出会うことは少ない。町にはどこの地域でよく見られるポール灯が等間隔で設置され、町の魅力が埋没されているように感じた。そこで、八尾を感じる風景をつくり出して行くことを基本指針として位置づけた。
■最小限の光で地形を浮かび上がらせる
日本は小さな島国ではあるが、そこには二つと同じ地形は存在せず、当然暮らし方も異なる。
様々な要素が含まれ形をなす町という集合体には、その土地で育まれた文化や風土といった地域性や、川や山などの地形が生み出す魅力が存在するはずである。そして、それらの魅力は町の個性として輝かせることができるであろう。そのためには、光は文字通り重要な役割を担う。
八尾町を横断する井田川には3本の橋が架かっている。橋には、渡る楽しみとそこから周辺の風景を眺める楽しみがある。橋を渡る際には、両側に川のゆるやかな流れと遠方の橋が見え、前方か後方にダイナミックな石垣とその上に連なる町並みが見える。こうした風景をどうにか美しく見せることができないかと考えた。それには大規模なライトアップをするのではなく、住民に必要な最小限の光によって八尾の地形と生活が浮かび上がるような手法をとることが望ましいと確信した。
現状の橋の照明には、高出力の放電灯が用いられている。橋の路面は明るいものの、そこから眺める川沿いや石垣の風景は街路灯の光の中に埋没しているような状況である。この状態で地形をはっきりと見せようとすると、大型投光器で加算的なライトアップをするしか方法がなかった。しかし、光を目立たせることは八尾らしい風景とは離れ、またそこで生活する人々とも距離のあるものになってしまう。人々の生活を浮かび上がらせるためには、第一に余分な光を消していくことが必要であった。橋や街路に設置されているポール灯を、実験を行いながら歩行や安全のため必要な最小限の光に置き換えることを試みた。そして、暗くなった橋から見える光の風景を構築しようとした 。
川沿いには小型のランタンを15m沿いに配置し、湾曲した輪郭が水面へ映り込むようにし、水を感じる光を作り出した 。石垣上の家並みを浮かび上がらせるために選択した主な光は、住宅の外側に設置した光量の小さな裸電球(主に10wと20w)と、住宅の窓から漏れてくる光である。裸電球は星空と調和するような直接光の配置と、壁面を照らす間接光の配置を組み合わせた。拡散する間接光は住宅や石垣をふわっと照らしてくれる。住宅からの漏れ光は人々の生活を浮かび上がらせ、活気ある雰囲気をつくる。赤提灯に引き寄せられ暖簾をくぐるように、人々の生活する光には、人を惹きつける魅力がある。住宅への電球の設置と窓明かりの調整は各住宅との連携により行った。特に光源の設置位置については、住民の生活スタイルを無視することはできない。石垣側の居室が生活スペースでなかったり、寝室であったり、蛍光灯が設置されていたりと、使われ方は様々であった。住宅一戸毎に実験の説明にまわり、光源を設置する場所や点灯する時間帯を住民と相談し、共に計画しながら一つずつ設置していった。手間をかけて細かに趣旨を説明することで住民の関心が高まり、逆に新たなアドバイスやアイデアをもらうことも多かった。共に一つの風景を創り上げていくという作業を続けることで、私たちの活動に対してより多くの理解を得る事ができたと思われる。
■住民と協力し創り上げることの意義
私たちはこの八尾で、町の特徴とは無関係に設置されている街路灯から脱却した、八尾住民にとって最適な安全性と防犯性を持った光によるまちづくりを提案しようとした。そのため『やつお夢あかり2005』の期間中は、実験地域のすべての街路灯を消灯し、実験用に設置したあんどん(図6)や提灯、窓明かりによって町並みを美しく照らすことにした。実験は最初から成功したわけではなかった。初日には、多くの住民の方から「暗い」という感想が漏れていた。実験用光源には20wの電球を使用していため、路面照度は既存街路灯よりも随分低くなる。それまで煌々と道路が照らされていた状態に慣れていた住民の目がもたらす、当然の反応であった。しかし実験3日目頃にはこの反応に変化が起こりはじめた。「町がよく見える」「暖かい光で心が安らぐ」「夜にも歩きたくなる」などの感想があちこちで出てきたのである。これまで幾年にも設置されてきた街路灯の光に慣れていた住民の目が、新しい光の風景に次第に順応していくことで、明るさに対する不満が影を潜めるようになったのだ。それによって街路灯の光を、改めて評価してもらう事が可能となった。
街路灯を消す事によって起きた住民の変化は、街路灯以外の光を受け入れる為に必要な準備期間であったともいえる。住民とともにまちづくりを進めていくには、現状に対する住民の慣れからの脱却を、強制するのでなく、実験を通して住民自ら気付くことがポイントだろう。私たちは、「町を明るくして欲しい」という住民の持つ常識を理解し、解消していくための十分な対策を行っていかなければならない。
住民の協力で光をつくっていくことの価値は大きい。川沿いから見る光の風景を一番に喜んでくれたのは、共に考えを巡らせた石垣上の人々であった。それまで光やまちづくりに距離を感じていた人、暗いという声を漏らしていた人たちが、実験に参加・協力することで光やまちづくりに対する意識が高くなってきたと実感した。実験期間中、住民は実際に橋へ降りてきて、「星が良く見える」「やさしい感じがする」「立体感が生まれた」「町がよく見えるようになった」などの意見を述べてくれた。普段夜は出歩かない高齢な方も、お孫さんの手を引き、「あれがうちの光だよ」と嬉しそうに孫に伝えている。そういった感想に表れる住民の意識は、日を追うごとに光への愛着へと変化していった気がする。橋には八尾町の新しい夜の風景をファインダーに収めようと陣取るアマチュアカメラマンの姿や、新しくウォーキングコースに加えたと言う女性も見えた。実験期間の終わり頃には住民の方々から、「八尾町の新しい魅力となる風景だ」「八尾にふさわしい光」「おわらとは違うがこれも八尾だ」という暖かい声が聞けた。
■街路灯整備から脱却した光によるまちづくりの為に
日本の都市照明は、細かいデザインの違いはあるものの、どこも画一的な計画がなされている。駅前のシンボルロードには均等に配置されたポール灯が並び、道路ばかりを照らしている。深夜には人の姿はポツポツとしか確認できないような状態でも、街路灯は人々の生活と無関係に点灯されている。町の持つ特徴や人々の生活と光の配置がリンクしておらず、光が町の魅力を引き出す役割をしていない。
私たちは明るくすることが必ずしも町にとってよいことだと考えておらず、最小限の光によって町の魅力を高めていくことを目指している。町の光を調査し、町にとってあるべき光の姿を提案し、そして住民参加ワークショップと光の実験を行う。まちづくりのためのワークショップは様々な方法が提案され実施されているものの、多くは図面や模型などを材料にして進められるか、建設現場で小規模に進められるものである。しかし光については、比較的低予算でも、大規模な範囲で計画案を実際に提示し、住民に体験してもらえるという利点がる。光を現実に町につくりながら計画を進めていくことができるのだ。私たちは今後も八尾において住民参加型の光の実験)を行い、八尾らしく八尾にふさわしい光の創出によるまちづくりを進めていく。時間はとてもかかるであろうが、5年後には必ず実を結ぶはずである。その為の第一段階が始まったのである。