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Light Dimension Design
連載「ライト・ディメンション・デザイン(Light Dimension Design)」
月刊『商店建築』1996年連載から 著者:角舘政英+藤原京子 (#11 +風袋宏幸)

#00光再-始めに-要約版/ #01トイレの機能照明/ #02影の彩り-虹窓の科学-/ #03イルミネーション・サイン/
#04光-明-暗-闇/ #05時間感覚と光の周期性/ #06白い光と黄色い光/ #07機能照明からのアプローチ/
#08機能性と形から生まれる光/ #09あかりを灯す作法/ #10点光源がつくる空間/ #11デジタル・ライト/
#12光環境のデザインとは/ #13光再考-総括・まとめ-

デジタル・ライト:
CGやバーチャル空間の進化を背景に、現実の物理法則を超えた「光と影のデジタル操作」がもたらす新しい表現の可能性を考察する


   今まさにCGブームが到来している。新聞の学校紹介欄を覗けばCGスクールがすぐに目に飛び込んでくるし、NHKの教育テレビがCG教室を放送している。本屋に入ればコンピューター関連コーナーは人の山だ。彼等の多くがCGマガジンを手にしている。この国民的CGブームの背景にあるのは、あのマルチメディアとかインターネットとかいう魔法の言葉だ。とは言うものの、その本家本元たるアメリカでは既にネットの終焉が宣言されたとか、始まってもいないのに、もう死んじゃうのって感じが消費的で彼等らしい。一方、CGは莫大なハリウッドマネーを背景にアートとテクノロジーそしてマネーをみごとに統合しつつある。そこには現代の夢があるかのようだ。テクノロジーを生かすも殺すもビジョンとマネー次第というところだろうか。CGはこれまで主にシュミレーション技術として広く利用されてきた。これらに見られるCGは、高額のワークステーションを所有可能な大手建築設計事務所、建設会社、照明器具メーカーによって、ハイリターンを見込めるビックプロジェクトをターゲットに主に利用されてきており、それは設計の最終段階で行うプレゼンテーションのツールであった。これにはマシーンと人と時間が大量に必要とされ、すなわちお金がかかるものなのである。だが、ここ数年の技術開発競争の結果、プラットフォームの価格が急激に下がり、デザイナー個人が高額のワークステーションとほぼ同等の性能をもつマシーンを手に入れることが現実的に可能に成りつつある。こうした状況は、コンピューターがイメージの確認ツールからデザインの思考ソースへとシフトしていく環境条件がようやく整ってきたということでもある。つまり私たちは、これまで再三予言されては裏切られてきた、デザインテクノロジーの日常的レベルへの普及が引き起こす、あの根本的な変化とやらを、とうとう実感できる最初の世代になったということでもある。更に言うならば、この変化を意識的に受け止める最後の世代となるのかもしれない。それは今の若者にはその事態が当たり前となってしまうからだ。アナログとデジタルの狭間をさまようとき、デザインに如何なる影響が現われるのだろうか。今回はCGの光環境に焦点を当てながら、これまでそのデジタル世界で経験した奇妙な現象をいくつか取り上げ、今起こりつつある変化の一断面を記述しておきたい。

  
島原中央公園
(設計競技応募案/佐々木龍郎+宮下信顕)
シミュレーションとしてのCG1
吉野ヶ里駅
(設計競技応募案/佐々木設計事務所)
シミュレーションとしてのCG2


■仮想空間

   設計におけるプレゼンテーションの一つとしてCGがあるが、これは今までパースや模型を用いていた代わりにコンピューターを使用したものでしかなく、シミュレーションの域から脱していない。仮想現実(バーチャルリアリティ)は実在しない空間をあたかも現実の空間であるかのように知覚することをいうが、一部の楽観的な人たちは仮想空間と現実空間との境界を勘違いしている(何百年後は解らないが)。仮想空間が現実空間に近づこうと、あくまでも仮想空間は仮想空間なのであり、人が生活する上での身体運動とは根本的に違うのである。しかし仮想空間であるという現実を認識した上であれば、その仮想空間内での新しい体験は可能である。私たちが身の回りで体験している三次元の空間の身体的なインターフェイスとは違ったアクセスが感覚としての認識を呼び起こすかもしれない。しかし私は一連の設計活動においては、今はこのような事には興味はなく、あくまでも重力が影響するこの空間での出来事に興味があるのである。


■ツールとしてのブラックボックス

   デザインをするという行為にブラックボックス化しているコンピューターはどのように影響しているのであろうか。今から十数年前にやっとコンピューターなるものが出始めた。そのころ私に近い年代(’60年代生まれ)の人たちはその出現にびっくりしたに違いない。学会などの論文も手書きからワープロへと移行し、大学での研究の際のデーター収集、解析などに使用し始めていた。それは今まで大型コンピューターでしかできなかったことが、手軽におこなえるようになったのである。今や空間のチェックもスケッチ、モデルからすべてコンピューター上でおこなう事もあるくらいである。モデルで使用した素材がそのまま空間のイメージにつながり、そこでモデルを創ることが思考のプロセスでもあるのは皆が体験していることであろう。例えば6m間隔でグリッドに並んでいる柱の空間がどのような空間であるかチェックしたい時どのようにしているのであろうか。まず柱の平面形を描きそれに高さを与えて立体にし、そのオブジェクトを縦横6m間隔で配列複写する。これで基はできた。
  次に好きな視点を設定して三次元化すればよいのである。さらに光源を設定して影を付け、オブジェクトにテクスチュア(素材)の設定をすればもっとリアルとなり、その仮想空間をリアルタイムでぐるぐると歩き回ることも可能である。これに要する時間は慣れた人なら数分である。ここでの問題はただ「これは便利だ!」ということでなく、時間の短縮に伴う思考の時間差である。そしてオブジェクト~立体化~配列複写~三次元化の行為における「~」の部分がコンピューター内で起こっている不可視の部分、すなわちブラックボックスでの出来事を、表面的な現象、ツールとしか認識していない点である。物を切ったり貼ったりするのに必要なツールはカッターであり、そこには物が存在し行為が発生する。この行為自体が別のインターフェイスによって置き換わっているのである。確実に思考パターン、認識パターンに影響を及ぼしているのである。とくに現象を総合的に漠然と捉える傾向にある者にとってこの影響は大きいはずである。

  
図3:天文館ジオラマ
/鹿児島県歴史・美術センター黎明館
シミュレーションとしてのCG3
図4:韓国国立博物館
(設計競技応募案/佐々木龍郎+姜鎬元+角舘政英)
シミュレーションとしてのCG4


■光(世界)のパラメーター化

   代表的なCGソフトが持つ光に関するパラメーターを覗いてみよう。まず、光源の種類として無限遠光源、点光源、スポットライト、太陽光(平行光線)等の設定をし、それらがアイコンとして表示されるのであるが、このアイコン表示なるものがCGの特徴の一つとして興味深い。アイコンは通常ワイヤーフレーム表示時のみ表示されるものであり、レンダリング実行後は消滅してしまい、無から光が飛び出すこととなる。次にその光源の色、位置、減衰の終始点そして影の強度。スポットライトの場合はさらに照射角度を調整する。さらにそれぞれのサブパラメーターとオブジェクトのマテリアルのパラメーターとの関係から再度編集される。これらの設定は感覚的にできるものもあるが、やはり数値入力が主流であり、自由自在にコントロールするためにはかなりの経験が要求されるのが正直なところだ。ただ日常的な訓練により、各パラメーターの意味と操作に習熟してくると、ある段階で奇妙なことに気がつくことがある。街を無意識に歩いているときでさえ、その環境を瞬間的にワイヤーフレームのモデル、マテリアル、テクステャー、ライト、カメラなどに分解し、それらのパラメーターの組み合わせとして、環境を認識してしまうことがある。アナログ世界をコンピューターで表示し操作するデジタル世界での思考訓練が明らかに新しい世界の認識パターンを作り出していることを実感する瞬間でもある。

  
図5:イメージとしてのCG1
某ガソリンスタンド(計画案/風袋宏幸
図6:イメージとしてのCG2
某クラブ看板計画


■CGが作り出す光と影

   当然CGワールドでは、日常的にはこれまで経験しなかった光の状態を容易に作り出すことができる。あるいは意図に反し偶然奇妙な光の現象に出くわすことも多い。たとえば、特定のオブジェクトにだけに影響する、または影響しないように光をコントロールすることが可能だ。同一平面上に置かれた二つの立方体のうち、片方のオブジェクトのみに光の影響を排除する命令を行い、レイ・トレーシングレンダリングを実行してみる。その結果、片方のオブジェクトへは光の反射、屈折、遮断の計算を行わないために、影をつくらない立方体が現れる。そのオブジェクトは、もう一方と同一平面上に置かれているにもかかわらず、浮遊しているように感じられる。それはまさにゴーストを見るかのようである。このことは、いかに実在感が影に左右されるかを再認識させてくれる一つの例と言えよう。この影のトリックを利用して現実の空間を逆に虚の空間へ転換することも可能であろう。
  次の例として、オブジェクトの物性を変化させることによって光と影の現れ方をコントロールしてみたい。まず球体を用意し、三つの異なる状態を作り出す。はじめは不透明な球、次に半透明な球、そして最後にグレアによる揺らぐ球である。これらにレイ・トレーシングレンダリングを実行してみると、不透明な球では影はオブジェクト、言い換えると光の面の背後に隠れる。一方、半透明な球では、影は同様に光の背後にあるものの、影全体が現れてくる。ところが、揺らぐ球ではついに影が光の前に浮かびあがって見える。つまり光と影といった言葉自体が意味を失う。これらは原理的に当然予想されるものと言われてしまえばそれまでであるが、揺らぐ球が示している現象は一つの光の状態モデルとしてもっと検討されるべき対象だと私は考えている。
  以上、これまでCGと付き合ってきて、気が付いたり、考えたりしたことを現時点でまとめてみた。CGはその可視化能力によって、経験的にはイメージしにくい状態をも瞬間的にある程度検証可能にする。われわれ普通の人は既に見たものを利用することでしか具体的なイメージを描きえないのだとしたら、またそれは脳から外部化された物的な外部メディアを通して視覚化されるはずであるから、メディアそのものがもつシステムが決定的なパラダイムを形成してしまう。つまりCGをメディアとして選択したとき、デザインは当然その影響下にあることになる。(最近のカーデザインがどれも似たような流線形からできていることを考えてみれば分かりやすいだろう。)しかしながら、このメディアはそれ自体常に変貌し続けており、簡単にはその限界を露呈しない構造をもっているのも確かであろう。いずれにせよ、もはやこの知的メディアとかかわらざるをえない今日的状況の中では、どうせならそのメディアを積極的にデザインに取り込み、共に戯れるのも楽しいかもしれない。ただその時、どこまでそのパラダイムに意識的でいられるのか、そしていかに自分がデザインの主体であり続けるということが、自分の能力を超えたリアルな空間、出来事を創造することにつながるはずである。

  
図7:CGが作り出す光と影1
同じCG空間におきながら、
右下の立方体は光の影響を受けていない。
この浮遊したような立方体によって、
虚の空間に転換してしまった。
図8:CGが作り出す光と影2
オブジェクトの物性を操作することによって、
CG上での現れ方が変化する。
揺らぐ球が示している現状は
光と影といった言葉自体が意味を失っている。
これらは新しい光の現状のモデルとして
可能性があるのである。


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