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ライティングデザイン

Light Dimension Design
連載「ライト・ディメンション・デザイン(Light Dimension Design)」
月刊『商店建築』1996年連載から 著者:角舘政英+藤原京子 (#11 +風袋宏幸)

#00光再-始めに-要約版/ #01トイレの機能照明/ #02影の彩り-虹窓の科学-/ #03イルミネーション・サイン/
#04光-明-暗-闇/ #05時間感覚と光の周期性/ #06白い光と黄色い光/ #07機能照明からのアプローチ/
#08機能性と形から生まれる光/ #09あかりを灯す作法/ #10点光源がつくる空間/ #11デジタル・ライト/
#12光環境のデザインとは/ #13光再考-総括・まとめ-

白い光と黄色い光:
光の色温度や演色性の仕組みから、現代の空間に必要な明るさのバランスと、日本の住宅照明が歩んだ独自の歴史を紐解く


■二つの光

   都市空間、住宅、店舗、なんでもいいが、そこで使用されている光源を思い出してみてほしい。その光源の色味は何色と言えるのであろうか。大抵の人は白か黄色(人によっては赤、オレンジという)と答えるであろう。この雑誌の前の方を見返して見ても、店舗で使用されている光源はまさに白か黄色であろう。私たちはなぜこの二つの光源を使い分けているのであろうか。もちろん、「市販されているから」ではあるのだが、そもそも世の中に必要とされて開発され、生まれ、流通するのであるから、やはりそこには何か大きな理由があるに違いない。

  
青い空、白い雲、
色温度と照度が高い世界
日本の典型的な
商店街のスズラン灯


■人工光の種類

   光源には大きく分けて二つの種類があり、温度放射(白熱発光)とルミネセンス(放電発光)である。温度放射系は普通電球、ハロゲンランプ、ビームランプなどフィラメントが高温になることによって発光するものである。またルミネセンス系は蛍光ランプ、メタルハライドランプ、HQI、水銀灯、ナトリウム灯など放電による発光である。この二つが通常、白と黄色に分けて考えられているわけだが、温度放射系にはその他に蝋燭や燃焼による発光も含まれ、ルミネセンス系でもナトリウムランプは黄、また蛍光ランプ、メタルハライドランプにも黄色系の色味のものも開発されている

  
夕焼けは辺り一面を
赤に染める
蝋燭の光は
今や特別な所でしか見られない


■光源の色特性

   光源の光の成分を表す尺度として「色温度」「演色性」がある。「色温度」は青っぽいとか赤っぽいとかいう光色を示す尺度だろ思って良い。単位はケルビン(K:絶対温度。摂氏―273C°を絶対零度、0Kとした尺度である)で表され、数字が大きくなるほど「青っぽい光」となり、小さくなるほど「赤っぽい光」となる。そしてこれを色温度が高い、低いという言葉で表現する。ここで、青っぽいとか、赤っぽいとかいう、その基準を確認しておくこととしよう。黒体(完全放射体)を熱していくと初めは赤く、次第に黄、白、そして温度が上がると青色に変化する。この時の絶対温度をとってその光色をケルビンで表した。自然光を例にとれば、太陽光は約5500K、快晴の北空は約1万1000K、日没は約2000K以下であり、蝋燭の光はこの日没の光の色温度に近い。このように光の色味を赤、黄、白、青という主観的なものでなく客観的、物理的な数値としたのが色温度である。


図1:自然光と人工光の色温度値


   「演色性」とはある光の下での物の色の見え方の再現性を示すものである。ここには二つのポイントがある。一つは再現性と言っても何が“本当の色”かということである。「太陽の光の下で見た色のこと」とひとことで言ってはいけない。太陽光は、日の出から南中時、そして日没まで、光の成分は変化しているのである。二つ目は人工光源で評価数Ra100とされているランプは普通ランプであるという点である。(Ra:平均演色評価数。光の成分によって色の見え方が変化するが、これを数値化したもの。基準光で見た色の再現を100としている。白熱ランプのRaは100、一般的な水銀灯のRaは50である)。つまり「演色性」という評価は、ある色温度下で基準の光源を決め、その光の下での色の見え方に対して、測定する光源下での色の見え方がどのくらい忠実であるかを表したものである。ここに参考までにその基準となる光源を挙げておく。

  試料光源色温度5000Kより低い場合
  基準光源 黒体(3856K)
  試料光源色温度5000K以上の場合
  基準光源 CIE(*)合成昼光(5003K/5503K/6774K/7504K)
  (*国際照明委員会基準)

  きつねにつままれたような気がするが、同じ評価数のランプが同一の物を同じ色で再現するという意味ではないこと、つまり物の“本当の色”は光源の色温度ごとに異なるということである。
  もう少し分かりやすく例を上げよう。低圧ナトリウムランプを使用した高速道路のトンネル内では、さまざまな車体の色が全てオレンジ色に見える。この時、演色性が悪いという。またこのトンネルから車が出ると、太陽光によってまた本来の色が見える。ではどうしてこのようなことが起こるのであろか。われわれ人類は明るい太陽光の下で進化してきた。すなわち太陽の光に対応した目の構造が物の見え方を決定している。
  太陽光の分光分布は赤から青紫まで光のエネルギーが連続している。この光によって私たちは色を判断しているのである。光のエネルギー分布が連続していることはすべての色を判断するには必要不可欠である。では低圧ナトリウムランプの光はどうであろうか。低圧ナトリウムランプの分光分布は600nm(オレンジ色)の所にピークがきている。これが意味するのは、どんな対象物の色に対しても、反射してくる光の成分はオレンジ色以外になく、全てがオレンジ色のコントラストで見えてしまうのである。

     
太陽光 青空光 白熱ランプ
     
蝋燭の光 白色蛍光ランプ 低圧ナトリウムランプ
自然光はなだらかではあるが、特にナトリウムランプは赤の部分のみにピークがある
図2:各光源の分光分布


■光源の色と照度

   光源の色温度を決めると、空間の照度もある程度きまってしまうという一般的なセオリーがある。この表は照度と色温度の関係で空間の快適性が左右されるとしており、色温度が低い空間では低めの照度の方が快適で、照度を高くすると暑苦しく不快感が増すとされ、色温度が高い空間では、照度が高い方が快適で、逆に低くすると陰気で不快であるとされている。しかし、この感覚には空間の大きさも、照明手法も考慮されていない。白熱ランプの1000lxも空間が大きいと非常にさわやかであるし、まして色温度の低い夕日の光の照度は数千lxであるのに心地よい。白い光の低照度は陰気であるという構造も、対象はオフィスや店舗、住宅の全般照明で採る場合という条件付きのものであるようだ。その時の空間、人の状態によって、この表に当てはまらない場合のほうが刺激的である。人の感覚に触れる部分はもっと自由でなければならないはずである。



図3:照度と色温度の相関図


■黄色い光=くつろぎの光?

   色温度と演色性と照度。この三つの条件をわれわれは、意識無意識に関わらずそれぞれの空間にあてはめ、照明環境を決めている事になる。一見複雑な選択をしているようであるが実はこれも白い光にするか、黄色い光にするかという二者択一を迫られているのだ。この究極の選択に対し、最も効力を発揮しているのは経験と固定されたイメージである。ホテルの照明は黄色い光、高級店舗も黄色い光、量販店は白い光、オフィスは白い光・・・・という具合である。ここにも、覚醒空間は白、くつろぎの空間は黄色という固められたイメージがある。
  電球色の蛍光灯はなぜ生まれたのだろうか。そこには、消費電力やランプ寿命など高い効率を保ちつつも「白」でなく「黄色」は欲しいという意識が確実に働いている。蛍光灯の黄色い光はなぜ必要とされているのだろうか。部屋の真ん中に吊り下げたペンダントの蛍光灯を電球色にしましょうというコマーシャル。それの意味するところは何なのだろう。いままで白い光で部屋中を明るくしていた住宅のペンダントが、今度は黄色い光で同じように部屋中を明るくする。黄色い光はくつろぎの光だから(?)安定器の入ったランプ形の蛍光灯。ホテルのダウンライトもいつの間にか付け替えられている。もちろん、色がまだ違うという不満の声は聞かれるが、その改善は時間の問題であろう。しかしここでの問題では色温度や演色性でなく「黄色い光=くつろぎの光」という固定観念ではないだろうか。電球と蛍光灯の最大の違いは光の「指向性」、つまり物の影の出方が違うのである。もしも人がくつろぎスペースで求められているのが「光と影」だとしたら、そして、省エネルギーが今後も地球規模で必要とされるのであるなら、今求められている光源は「効率の良い黄色い光」では不十分で、むしろ、もっと点光源に近い白色蛍光灯、あるいはもっと小さいパワーの小型白色放電灯であり、「効率の良い小パワー点光源」といえないだろうか。


■照明の歴史(機能的な日本の光)

   日本の照明器具の発展を見ると、ある時代で途切れている。有史以来、燃焼光源を用いてきたという点は日本も西欧も変わらない。しかし西欧では蝋燭の文化から石油ランプ、電球へとその光源の種類を変えても、スタンド、ブラケット、ペンダントといった照明スタイルは変わらず、一つの流れを保っている。それに対し、日本では従来、行灯などスタンド形式の照明スタイルであった物がランプという照明を輸入したことにより、住生活の中にペンダントという形式を取り入れ、大きな変化をもたらした。天井から吊り下げられた照明は部屋の隅々まで均一に明るさを得ることができるもっとも適した手法である。日本の住空間の照明が天井に移った時、日本の照明の歴史は途切れたといっても過言でない。実際に光の年表を見てみると、今の私たちの生活のまわりで見る事がないものがほとんどである。このことは今まで日本が培ってきた光の歴史はより明るさを求めていたことではないだろうか。行灯などの照明手法は炎と自由につき合う限界であり、そこからは十分な明るさを得ることは非常に難しかったのであろう。ゆえに、西欧から輸入された、新たな照明手法は効率的で、なおかつ機能性(夜間の生活、例えば読書の際など)を満足させていた。日本人は今までの照明手法を捨て、新しい照明手法に飛びついた。日本の光を取り戻すには、疑似的な様式だけを真似するのでなく、日本の生活と光の関係の本質を掘り起こす必要がありそうである。
   現在の空間を構成するひかりは、全体照明と局部照明(スタンドなど)である。局部照明の扱い方によってその空間の表情は一変してしまう。壁際に置くのか、部屋の真ん中に置くのか、または光を拡散するシェードなのか、影を落とすシェードなのかも重要な要素となる。西欧の人は壁紙を選ぶのと同じように光をインテリアの一部として扱ってきた。日本ではまず全般照明という考え方があり、特に初期の住宅ではインテリアの素材の選択肢は限られていて、自分でインテリアを工夫する習慣が根づかなかったのと同じことが光についても言えたのではないだろうか。そのため習慣的に全般照明で明るく、なおかつ白い光でということが今なお続いているのである。しかし生活の多様化、照明に対する認識の深まりなどとともに機能的な光が白い光、演出的な光が黄色い光という図式が今後変わる可能性は大いにある。白い光と黄色い光の対立は今後は緩やかに無くなって行くように思われる。今後の動向を斜に構えて見ていたい。




現在の生活の中で残っている光の様式は見つからない


■追記

   2010年に台湾ターミナルコンペが開かれた。この建物は街とつながることを第一とした。この際、どのような日常の空間にするか、どのような光環境にするかを議論した。その中で、台湾の子供たちは白い蛍光灯の光を見るとワクワクすることがわかった。台湾での市場、屋台では今はなるべく明るくするため蛍光灯を使うので当たり前になっている。昔は日本と同じ、電球ではあった。ここでは、白い蛍光灯の光が屋台のサインとなっていて、そこでのアクティビティをイメージさせている。経験によって、光に関しても人によって違ってくることがわかった。
※下記PJリンクには動画があります。

  
photo:台湾留学センター(https://tw-ryugaku.com/column/yeshi/)
台湾高雄客船ターミナルコンペ(2010/台湾)
2026.08/Masahide Kakudate
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