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Light Dimension Design
連載「ライト・ディメンション・デザイン(Light Dimension Design)」
月刊『商店建築』1996年連載から 著者:角舘政英+藤原京子 (#11 +風袋宏幸)

#00光再-始めに-要約版/ #01トイレの機能照明/ #02影の彩り-虹窓の科学-/ #03イルミネーション・サイン/
#04光-明-暗-闇/ #05時間感覚と光の周期性/ #06白い光と黄色い光/ #07機能照明からのアプローチ/
#08機能性と形から生まれる光/ #09あかりを灯す作法/ #10点光源がつくる空間/ #11デジタル・ライト/
#12光環境のデザインとは/ #13光再考-総括・まとめ-

影の彩り-虹窓の科学-: 祇王寺の「虹窓」を例に、障子に映る影と外部環境の調和から、日本の伝統的な空間が持つ自然光の取り入れ方を考察


■虹窓との出合

   照明デザインを志してまだ間もない時、京都に住むインテリアデザイナーから「虹窓という窓があるのですけれど、なぜそう呼ばれているのでしょうかね」と質問されたことがある。そもそも「虹窓」という言葉自体知らなかったので答えようがなかった。それから半年ほどたって、急にその「虹窓」が一体どんなものなのか気になり、京都に向かった。猛暑の中、目的地は右京区の嵯峨にある祇王寺である。真夏のせいか人は少ない。入り口でパンフレットをもらい斜め読みをすると「吉野窓:控えの間の大きな窓を吉野窓と言い、影が虹の色に表れるのを以て一名虹の窓と称している」と記してあった。わざとそしてゆっくりと苔庭を楽しみ、気持ちをおさえるように控えの間の吉野窓の前に立つ。この時は空間を楽しむよりも、もう目はディテールを観察していた。「虹というからには7色だよな」と単純な発想をしていた私はそれを見た瞬間がっかりしてしまった。障子に映る影(*1)ははっきりとした7色ではない。ただいくつかの色の影が出来ているのは解った。そしてその影の色は青、緑、赤の重なり合いの影であり、なおかつこの色の違いは微妙であった。
   ニュートンでさえプリズムを使用して、やっと自然光をはっきりとした虹色に分解したのだから、いくら日本に自然光を取り入れる文化と技術があっても、「虹窓」とネーミングするのは多少大げさかなとも思ったりした。しかし現実にいくつかの色の付いた影が現象として存在するからには何らかの原因があることは確かである。青、緑、赤、この三つの色は窓の外の景色の要素である、青空=青、竹薮=緑、土=赤であることに気がついたとき、ピンとくるものがあった。すなわちこの障子に映る影は、外の状況をそのまま映しているものであり、言い換えれば外部環境が変化すれば影の色の組み合わせも変化するはずである。あれこれ思考を巡らせているとすぐに2、3時間たってしまった。帰りにここを管理しているおばさんに「ここの虹窓が一年の中で一番美しいのはいつですか」と質問すると、「秋の晴れた午前中、そう8時ぐらいが一番きれいに見えますよ」と教えてくれた。この時以来、何回か祇王寺には足を運んだが、おばさんのいう秋の晴れた午前中には未だ訪れていない。

  
祇王寺は控えの間の吉野窓。
通称「虹窓」と呼ばれている。
空の青、木々の緑、地面の赤が色の影をつくっている。


図1:「虹窓」現象の説明


■虹窓の仕掛と原理

   虹窓」と呼ばれるこの窓は、直径1mほどの大円形の下地窓である。下地窓とは塗り残し窓、葭窓(よしまど)ともいわれ、壁を塗り残すことによって小舞下地(竹を格子状に組み、つるなどで結んだ下地)を表し、その室内側に障子を設けた窓のことをいう。そして小舞下地である竹や葭の影が映り、この影が障子を彩る訳である。そしてこの窓には窓の外の環境である景色が間接的に映り込むのである。上方からは青空の青光が、前方からは竹薮の緑光が、そして下方からは土の(秋には赤く染まった紅葉の落ち葉で埋め尽くされるらしい)赤光が竹や葭のフィルターによって、障子に色を出すわけである(図1)。そしてこの現象が顕著に表れるためには物理的な距離をも重要な要素となる。
   小舞下地の間隔と太さ、そして小舞下地と障子の距離。これらの要素が絶妙なバランスがとれたときに、「虹窓」なる現象が表れるわけである。例えば小舞下地と障子の距離の関係では、距離が短ければ色の重なり合いは起きづらく、また距離が長いと小舞下地の蔭(*2)自体がぼやけすぎてしまう。そしてもう一つ重要なのは、決して直射日光が当たってはいけないということ。微妙な色の変化は直射光が当たることによって打ち消されてしまうからである。図1の窓は西側を向いてはいるが、約2mも張りだした軒と前方の竹薮によって基本的には直射日光を遮られることになっている


■虹窓の始まり

   実はこの「虹窓」現象はこの祇王寺だけではなく、他にいくつもの例があり、また別の茶室などでも「虹窓」と呼ばれている窓があるということが、多くの茶室を尋ね歩くことで解かった。基本的には下地窓と呼ばれる窓には、大なり小なりの「虹窓」現象が見受けられるのである。実は下地窓の手法は田舎屋の塗りさし窓を見た利休が茶室に応用したのが始まりと伝えられている。利休は単に下地を見せるのではなく、力竹(下地窓の外側に添える竹の柱)や割竹を下地に混ぜ、陰影のリズムを強調させることと、外壁の景趣を兼ねていた。茶室での窓のあり方は、空間にどのような光を取り入れるか、茶を点てる人と客をどのような光によって見せるかがその目的であったのであろう。室内に光を取り入れるという目的だけではなく、どうも障子に表れる「虹窓」現象が人々に受け入れられていたのではないだろうか。
   また茶室には連小窓(れんじまど)と呼ばれる窓がある。これは障子の外側に縦方向に竹や木などで一定の間隔をおいて取り付けた格子を打ち付けた窓のことをいう。、あた有楽窓(うらくまど)と言われる窓は連小窓の一種で、外側から竹を隙間無く打ち付けた窓のことをいうが、これらの窓は外部環境を横方向に分解する「虹窓」といえる。特に有楽窓はその細い隙間から入る稿は分光された、影というよりまさに光の色による影の妙技といえる

  
連子窓。
縦方向の下地は窓外の風景を
横方向に分解する。
有楽窓。
下地の蔭は相殺され、
光の縦縞がさまざまな表情を持つ。


■影の彩り

  光のデザインは蔭のデザインとよく言われている。実はこれはあまりにも当たり前の話で、明を創る事は暗を創り、また暗を創る事は明を創るのである。そこで明暗なる空間ができ上がるのである。物の見え方も同じであり、明暗あって物体の立体感が生じるのであり、均一に光が当たっていては平面的に見えてしまう。現在の空間の中で演出的に影を創る場合、たいていはっきりとしたグラフィックとして見せることが、影を創ることとされている。もしも利休が求めていた影が、現在私たちが認識している影と同じならば、きっと利休は室内側、すなわち障子の内側に蔭となる仕掛を用いたであろう。しかし「虹窓」のように障子の外側に影を生じさせる仕掛を用い、なおかつその影はぼやけさせ、そして彩る陰影を創ることを選択した。季節、時間、気象によって微妙に変化する影の彩り、これらは決して主張せず、空間的な奥行き感を持つ仕掛として長年この日本に定着し、なおかつ洗練されてきた。そして直射光にあまり左右されない北側に配置することを基本としている。その光の環境はまさに日本人が好むものであった。
  そして、かつて日本人はこのような影の彩りを見分ける目を持っていたに違いない。自然光を多く取り入れる事が可能な日本の様式(建物、和紙による障子、深く突き出た軒など)では必然的に、また贅沢に自然光に対する感性が発達したということも考えられる。どうも今の私たちは、はっきりとした差異しか目にはいらなくなっているのかもしれない。奥行き感のある影の彩りを再生させる場を創る事は日本的な光を創ることの一つと言えるのではないだろうか。


■ゲーテの「色彩論」/補色の問題

  影の彩りという意味では、ゲーテが「色彩論」の中で主観的感覚現象である生理的色彩について述べている。ゲーテの立場、この「色彩論」の問題点などについてはふれないが、有名な蝋燭の実験について引用したいと思う。
  暮れなずむ夕日の光の中で白紙の上に蝋燭を立て、蝋燭と夕日の間に鉛筆を立てる。すると白紙の上には蝋燭による第一の影と、夕日による第二の影が生じる。そして良くみると第一の影は青みがかった色に見え、第二の影は黄赤色に見えるのである。説明によると、第一の影が青く見えるのは、白紙全体が夕日と蝋燭の光によってかなり赤味を帯びた色に染まっており、その赤とは反対側の色である青が呼び起こされているために青く見え、第二の影が黄赤色に見えるのは紙全体に照らしている蝋燭の光である黄赤色が特にこの部分では目立つからであるということである。この実験にはなぜに夕日と蝋燭なのか、夕日の色温度と蝋燭の色温度の関係は、またこの二つの光の強弱の差はどのような違いなのか、といった不明確なところはある。しかしこの実験の結果から重要な二つのことが考察できる。一つは第一の影で表れた色の補色の問題である。ある色が生じれば、その色の補色である色が呼び起こされる。これと同じことが「虹窓」の現象にも言えるのかも知れない。図2からも分かるように、赤色と青色は並んである。赤色と青色はほぼ補色の関係であり、赤色に見えているのは実は、青色のせいかもしれないし、青色に見えているのは赤色のせいかもしれない。すなわち「虹窓」現象は人の生理的視覚反応である補色の対比による色順応、つまり色彩対比の現象が需要な要素になっている可能性があるのかもしれないということである。
  二つ目は、第二の影の現象から、影の彩りを確認するためには、その蔭の部分に他の光が当たっていなければならないということである。真っ暗な部屋で蝋燭一本だけを立てて出来る影の部分は極めて蔭であり、けっしてい青くは見えないのである。このように影が彩りを持つためには他の光が必要であるといことである。「虹窓」での影には常に他の光が当たっていることは確かであり、その点からも影が彩りを持つためには他の光が少々必要ということが解るのである。
  もう一つこの実験の問題点を指摘すると、第一の影には天空光(青空などからの光)が影響している可能性もあるという点である。


図2:ゲーテによる蝋燭の実験
イメージを膨らませる為に、わざとモノクロの絵にしました。


■虹窓行灯の実験

  「虹窓」の現象を実際に目で確かめるために実験的に「虹窓行灯」なる行灯をつくってみた。この行灯の表面で起こる現象を説明すると、行灯の輝いている面は室内から見たもので、行灯の内側は「虹窓」の外部環境をシミュレートしている。すなわち行灯の内が外で、外が内というふうに考えてほしい。さて仕掛であるが、「虹窓」の仕掛と同じように、行灯内部に上部から青光、下部から赤光、そして正面からは緑光の光を照射している。行灯自体が小さいため(発光面の大きさに対しての行灯自体の大きさ)影が極力シャープにでないようにし、そしてバランスよく光の陰影が付くように調整している。単色光による影と、「虹窓」現象をモチーフにした光からできる影を比較すると、明らかに影の奥行き感が違うということがわかる。是非とも機会があれば、私が述べてきたような目で茶室などの窓を観察してもらいたい。
  また、文章の中では青色、緑色、赤色と表現したが、この色合いは微妙であり、正確には薄青、薄緑、薄茶といったほうがいいのかもしれないが、分かりやすくするするため青、緑、赤とした。


450H×250W250Dの「虹窓行灯」
(「斉美茶会」’商店建築94年5月号)
行灯の内側が外部環境としてシミュレーションした。


(注)文中で使われているカゲの意味
※1「影」:日、月、燈火などの光により生じるカゲ。ここでは何かしらの光が当たっている状況からできるさまざまな表情を持つカゲを指している。
※2「蔭」:光の当たらない所。または照明されていない所の暗部を指している。


■追記

   曼殊院 書院附茶室(八窓軒)の茶室がある。ここのすごい所がある。
   一つはこの窓の仕組み。これら窓には太陽の直接光が入らないようになっている。太陽光による直接的な演出を控えている。次にこの窓に入り込む庭、壁からの間接光の色温度が違う。そして、その窓の配置。まるで現代の劇場照明のような感じ。特に点前畳(てまえだたみ)、亭主がお茶をたてる所では、後ろからのバックライト、横下からのステージサイドライトの効果が出ていた。この時、案内のお坊さん?に座ってもらったが、彼の頭は坊主頭で、どの方向からどんな光が当たっているか明確だった。
   次に床の間。床の間の壁はイカの墨?で塗られていて真っ黒でマット。通常の日本の家屋の場合、壁は真っ黒でなく、白系。ということは部屋の隅の床の明るさはは開口部床は明るく、部屋の奥に行くと暗くなっていくが、壁際では壁からの反射もあり、多少上がる。すなわち、日本の家屋の部屋奥隅は多少明るくなっていて、空間として認識できるようになっている。
   では、壁がマット黒だと。床の明るさがこの壁に向かって、ストンと落ちる。日常的な部屋の空間構成がここだけ違う演出をしていた。 日本の茶室の奥深さを感じる茶室であった。このように、日本の建築を保存することは、物ではなく、環境も保存しないといけない。横にマンションができるとこの自然光を利用したあかりの演出を喪失してしまう。
2026.08/Masahide Kakudate
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